【特別寄稿】
受験とは何か―子どもたちを導く指導者の役割―
株式会社花咲スクール
代表取締役 大坪 智幸
この問いに対し、誰もが納得する答えは存在しないでしょう。改めて問われてみるとなかなか難しい問いです。このテーマを頂いた時に「重っ!」と言ってしまったことはここだけの話にしてください。
受験についての認識は、それぞれの組織や家庭、立場によって変化していくと思います。しかしながら部分集合的には、すべてが正解であると言うこともできるのではないでしょうか。例えば、「自己実現の手段」や「成長の機会」がこれに当たります。
今、みなさんの目の前にある物事には、原因と結果、目的と手段が存在していることと思います。それでは、受験とはそもそも何のために存在しているのでしょうか。視点を上空から、時空を超え、考えてみましょう。
さて、まず考えるべきは、主役である子どもたちの成長スピードに差が出てくるのは一体いつごろか、ということです。〇〇の壁で有名な小1、小4、中1、高1と答える方が多いのではないでしょうか。私もそう思います。学習内容や実際の点数の差など、定量的根拠のある学年なのではないでしょうか。(心の面を捉えれば、中学2年生という答えもあるかもしれません)
では次に、そこで生じる歪みや、起こり得る問題は何でしょうか。これも多様な答えがあると思いますが、私は「落ちこぼれ」と「吹きこぼれ」であると考えます。心や体の成長スピードは、人それぞれ違います。平均値を求めることはできても、一人ひとりバラバラであるのは、現場に出ておられる先生方はご承知の通りです。(原因は学校なのか、地域なのか、家庭なのか、急速なIT化なのか、その差が大きくなっていると感じているのは私だけではないと思いますが、話題が逸れますので深入りはまた別の機会に)
この「落ちこぼれ」「吹きこぼれ」問題を解決する手段が、受験なのではないかと私は考えています。そう、大きな枠での個別最適化です。ここ数年で注目を集めている言葉ですが、システム的にはすでに存在していたと言えます。集団授業を行う学習塾や一部の学校では当たり前の、レベル別や習熟度別という編成です。生徒を決まった枠にはめてその集団内の普通を追い求めるのではなく、それぞれが本来の力を発揮しながら、日々成長していくことが望ましい姿です。それを叶える、システム部分を担うのが受験なのではないでしょうか。
「普通が一番難しい」。有名な言葉ですが、小学校から高校までずっと平均や普通を追い求めていては、自己実現はおろか、今後迎える新たな時代で生きていくのもやっと、ということになってしまうでしょう。
さて、受験者を受け入れる学校側の立場ではどうでしょう。学校にとって受験とは、信念を共にできる仲間選びの手段や場と言えるのではないでしょうか。特に私立において、教育理念や校訓を体現し、より良い社会を実現していける生徒に来て欲しい、という確かな想いを感じます。特に、理事長や校長と話をする際には、毎回、熱意に圧倒されます。
誰でも良いのではありません。学力と人間性のバランスが取れて初めてそれぞれの想いが一致し未来がつくられます。この点において、受験という選抜はあって然るべき存在です。
では、違った視点ではどのような意見があるでしょうか。
私は「運」という言葉が浮かびました。安易な意味ではなく、運や偶然、奇跡はないということを学ぶことができる、貴重な機会であると考えています。受験当日、休み時間中にたまたま見ていたページの内容が出たという話はよく聞きます。また、模擬テストでは得意分野が出なくてボロボロだったけど、当日は自分の得意な所だけ出て余裕だったなど、この仕事をしていれば耳にした、実際に経験したことがあるのではないでしょうか。
それぞれプラスの面から検証してみると、前者はきちんと勉強してきた結果として、自身の努力と周囲の協力がつくり出した「運」だと言えます。緊張している中での休み時間で新たな学習など不可能に近く、正しく継続的に学習してきた結果「運に似た実力」が発揮されたのです。
後者のプラスの面は何かと言うと、受かったということだけです。得意分野以外の学習を疎かにしてきた生徒が、最悪の成功体験をしてしまったと捉えた方がよい事例です。入学後、大変な思いをすることは想像に難くなく、その上おそらく自分は「持っている」と勘違いしているでしょうから、周囲からのアドバイスにもバイアスがかかり、今後取り返しのつかない失敗をする可能性すらあります。
話を戻しまして、前者は自身の努力をもって、周囲の人に恵まれていることも想像できます。やはり努力はするものです。
しかし、努力は必ず報われる、は残念ながら嘘です。報われない努力もたくさんあります。企業や大学での基礎研究を見れば明らかです。ほとんどが報われません。何のために努力しているか、将来どのような技術に応用できるか、明確にわかった上で研究している人は、一部の大天才を除いていないでしょう。
私たち一般人は、とかく努力に結果を求めがちです。「私の努力不足です」「もう少し努力すればよかったんじゃない?」「あと少し努力してみよう」。本当に報われるのでしょうか。あるいは、結果がすべてでしょうか。
私は、その努力に意味を持たせることで良いのではないかと考えています。未来は自身の努力がそのまま投影される鏡です。過去の自分と現在の自分の延長線上にしか存在しません。過去、現在、未来は影響し合って存在しています。ですから、たとえ結果が合格でなかったとしても、正しく日々を過ごしてきた生徒は、前項目内の後者のような苦労はしないでしょうし、敗れて目覚めるその先には進歩が待っています。歴史が、その証明です。正にそれが学びであり、学問であると私は考えています。
そもそも受験とは、目的達成のための通過点であり手段です。幸福追求という観点で言えば、就労も通過点であり手段です。将来の夢や目的から逆算し、そのためにはどの学校に行くのが良いのか、その学校に行くためには、いつ、何を、どれだけ、どのように取り組めば良いのか、内容を計画、実行、検証、改善していくサイクルを練習する機会と捉えることができると思います。
また、理想論的真の目的は、成長マインドへのセット、自身のコンピテンシーを伸ばす、その練習が受験なのだと思います。このような動機付けを行うことが、私たちに求められていることではないでしょうか。大きく、長く、考えていけば、目の前の問題は小さなステップに姿を変えます。先人として若人を導き、私たちが見ることができない未来を創造してもらう、その力を育てることが私たちの仕事です。
普段の生活から意識し、自身のマインドをより良くしていくことは可能であり、さらにプレッシャーがかかる状況の中で改善していくことで、より高い効果が得られると言われています。度が過ぎてはいけませんが、ストレスは思考力や身体能力向上に良いとされており、受験はストレスとどう付き合っていくかの練習にもなり得ます。
今後、子どもたちは私たちの助けなしで生きていかなければなりません。昨今は真偽問わず情報が溢れ、どこを見てもストレスが存在する時代です。SNSに代表される情報系ツール(アプリ)では受動(刷り込み)、能動に関係なくストレスを自分で吸収しにいっているような状況です。そのコントロールの仕方も、適切な環境の中で、私たちが教えていくようにすべきだと思います。
それでは、現在の私の結論です。来る時に自身の力で壁を乗り越えていけるマインドを育てる、その絶好の機会が受験なのだと思います。
代表取締役 大坪 智幸 氏
郵便局員、新車営業の経験を通し社会の矛盾に気づき、教育業界に転身。塾講師、通信制高校教師を同時にこなす中、肺炎を患い生死をさまよう。その後、大手学習塾にて講師を務め花咲スクールを開校。一人ひとりに真摯に向き合い、自主性を引き出す教育方針に定評があり、口コミや紹介での入塾者が後を絶たない。居合道と大学院での学びによりバージョンアップ中。
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